読者を虜にする「感情移入」の方法

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こくぼしんじです。講座も第7回ですね。今回はずばり、主人公キャラクターを引っ張りまわして読者を虜にする技術。「感情移入」についてのお話です。

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同時に、作品を賞や持ち込みに出す際、あなたの作品のどこが見られているかについての解説だったりもします(笑)。

なので可能なら、今すぐ読んでフムフムと理解するより、書き上げた自分の作品を脇に置きつつ、チェックリスト的に参照するのが良いかなと。では行ってみましょう!

主人公は車の運転手。読者は助手席に乗った恋人だと思え!

作劇を語る上で、意味も分からず使ってしまう言葉。その代表格が「感情移入」じゃないでしょうか(笑)。

ちなみに、「感情移入って何ですか?」って真面目に質問すると、多くのプロ作家や編集者さえ、まともに答えられませんから。辞書にある通りの言葉を使って説明するも、本人の腑に落ちていないのが丸わかり。

まあ、そんなコトを答えられるかどうかよりも、作家には実際に面白い作品を書けるコトの方が大事ですけどね! で、その「感情移入」。辞書で引くと、意味はこうです。

「自分の感情や精神を他の人や自然、芸術作品などに投射することで、それらと自分との融合を感じる意識作用。(大辞泉)」

……ヨケイワカンネエヨ!!

なので、この場を借りて説明しましょう。感情移入とは、ズバリこういうモンです。

まず、物語そのものを「読者と共に行くドライブ」とイメージして下さい。
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……皆さんはフツーの壊れてない車をイメージして下さい。

さて、主人公の役割は車の運転手。車の同乗者たちをどこに連れて行くか、その決定権を持っています。

脇役の役割は、後部座席に座った仲間たち。運転手と一緒に盛り上がったり、運転手をDisったりすることはありますが、途中で降りることは基本的にありません。

で、読者は何かというと……主人公の隣、車の助手席に乗った「気難しい恋人」です。どこに行くかは運転手にお任せ。ただし、気に入らない場合はすぐ降ります(笑)。

いわば、運転手と共に助手席に乗った恋人が、運転手とその思いやら、見える景色やらを共有しながらドライブを楽しむ気持ち……それがいわば「感情移入」の正体なんです。

スタートからゴールまで、一貫して運転手になったような気持ちでドライブを楽しめていたら、それが「感情移入できる作品」。途中で両者の意識共有が崩れたり、途切れてしまったら、その作品は失敗作です。

では次に、どんな時に「感情移入」が成立し、また崩れるのかを話しましょう。

ドライブとは言え、物語上のドライブは波瀾万丈ですから、当然、いろいろなアクシデントが起こります。ともあれ、途中で運転手(主人公)がどんな事件に見まわれても、そうした事態が起こっただけで助手席の恋人(読者)がイヤになって降りることは、まずありません。

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上の例は極端ですけど、本当に読者は「読んでて楽しければいい」んで。

少なくとも、「最初に決めた目的地に行くんだ!」という意志がお互い共有されている限りにおいて、またはその意志に基づき、運転手が必死に頑張っている限りにおいて……恋人は運転手を見捨てないんです。これが、「感情移入」の成立している状態

しかし……物語中で、下記のような判断を主人公が行なってしまうと、助手席に座った恋人はすぐさま運転手への信頼を捨て、途中で降りてしまいます。

『安易な妥協』
運転手が勝手に目的地を諦め、下車した場合。(目的地にたどり着くのは無理っす! ここまでで許して?)
『目的変更』
納得のいく説明がない、意味不明な目的地やコースの変更を行った場合。(やっぱ違うトコ行くんで夜露死苦ゥ!)
『サボタージュ』
主人公が車を自動操縦モードに切り替え、居眠りを始めた場合。(主人公が動かず、周囲の変化や動きばかりで物語が勝手に進んでいる状態)

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上の3つのうち、どれか1つでもドライブに入り込むと、読者と主人公の意識共有が崩れ、途中で降りられてしまいます。それが「感情移入の崩壊」です。
特に、最初の時点で決めた目的や約束事に対する「安易な妥協」は、ものすごい違和感を読者に与えると思ってください。人間は個々の人生でしばしば、状況に応じたダブルスタンダード的な選択を強いられるもの。しかし、フィクション作品の主人公が行うダブルスタンダードを都合よく理解、納得し、そのままついて来てくれるほど、読者は作品にも主人公にも優しくありません

また、このドライブでは運転手と助手席の恋人が共に悩み、苦労しながら目的地に向かうという「過程」が最も大事。結果として目的地に着いたかどうかなんて、二の次、三の次です。

当初の目的を達成できずとも、主人公がギリギリのところまで頑張った結果、最終的に読者を感動させた名作はいくらでもありますよね。

だから、途中で空港や新幹線の駅を見つけたからといって、そこから2人で飛行機や新幹線に乗ってもダメ。どこからかヘリコプターが来て、2人を強引に目的地へ運んでくれた、なんてのもダメ。(これらが作劇上では「作者のご都合主義」にあたります)

こういう邪道なやり方で、作者自身や運転手がいくら目的地に到達できて良かったと思っていようと、助手席の恋人は納得しません

「こんなのドライブじゃないでしょ!」「あーあ、付き合わなきゃよかった……」と思うだけなんです。

なので、感情移入の成否を分けるのは、基本的には主人公の「動かし方」

具体的には、主人公の判断や選択が当初設定した目的意識や性格、信条にかなっているかどうか。

言うなれば「目的に対する執着心」と「辻褄」が問われます。

だからこそ主人公に最も必要とされる資質は、生き方の辻褄が合いやすい「シングルスタンダード」なのです。(「シングルスタンダード」の重要性については、第5回の講義を参照してください)

「神の目線」を捨てて、「主人公目線」へ。

とはいえ、主人公の動かし方を知っただけで「感情移入」をマスターできるかというと、そう甘くはなくて。もう1つ重要な要素があります。作者の視点です。

「感情移入」を完璧に成立させるためには、作者自身の甘えや横着から生まれる「ご都合主義」を、徹底的に排除する必要があるんです。

特に、過去の私も含めて多くの志望者が、まず一度は陥るのが「神の目線のまま物語を書く」……というミス。

ミスの内容や原因についてはあとで詳しく解説しますので、とりあえず「神の目線」とは、作者が神のように、上から物語全体を見ている目線だと考えてください。

対して「主人公目線」というのがあります。こっちは作者自身が主人公になりきり、物語世界の参加者として、スタート地点から順番に物語を辿る視点です。

「迷路」をイメージすると、両者の違いが分かりやすいですかね。

「神の目線」は、迷路全体を上から見ている目線

「主人公目線」は、作者自らがスタート地点に立ち、3Dダンジョンに挑む目線です(笑)。

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神の目線と主人公目線で挑むと、迷路を攻略するのはどっちが難しいか? 言うまでもなく、難しいのは後者(絵で言えば右)でしょう。物語の構成を練ったりプロットを書くときは当然、「神の目線」が必要です。特に商業作品では作品の尺(長さ)を調整する必要がありますから。

しかし、そうやって構成やプロットを練ったあとで必ず、今度は「主人公目線」で、うまく物語が進むかをチェックする必要があるんです。

主人公のこの判断は、設定した信条にかなっているか? 主人公に降り掛かってくるこの出来事を、読者は自然に受け入れてくれるか? といった感じで。そして、いわゆるご都合主義というのは、常に「神の目線」が行き過ぎた場合に起こります。

例えば、物語の最終目的が「難攻不落の城を攻略すること」である場合。「主人公視点」だと、本当に難攻不落で、攻略の糸口がなかなか見つかりません。こんなのどうすりゃ攻略できるんじゃい! という気分になります。

主人公より、むしろ作者自身が。こういう時に、首をもたげてくるんですよ。作者自身の「神の目線」が。「このままでは主人公が進めないから、少し攻略できる手がかりを追加しとくか」って感じで(笑)。

具体的には、難攻不落のはずの城に、主人公が必要とするよりも先に「秘密の抜け穴」や「内通者」といったお助け設定を用意してしまうんです。作者が神の目線でわざわざ先回りしちゃうってコト。

これでは、難攻不落の城が、難攻不落じゃなくなりますよね。結果として、たとえ難攻不落の城を攻略しても、達成感は何もありません。読者も当然、形ばかり喜んでいる主人公と達成感を共有できなくまります。

つまり、作者が主人公を過保護にアシストすることにより、感情移入が阻害されるのです。これが、志望者にもっともありがちな「ご都合主義」の正体。

この「ご都合主義」を回避するためには、作者自身もギリギリまで、いやむしろ最後まで(笑)、「主人公目線」を保ったまま踏ん張る必要があるんです。作家の生みの苦しみとは、まさにココ。ここで「神の目線」に戻って主人公を助けたら、絶対に「名作」「傑作」は生まれないのです。

なお、ここで疑問に思う方もいるかも知れません。

「え? 普通の漫画や映画だって、お助けアイテムや設定は登場するじゃん」

「普通に抜け道とか使って侵入するじゃん」(→例えば「ルパン三世 カリオストロの城」では、ルパンと次元がローマ水道から城に侵入します)こういうのが、なぜ「ご都合主義」にならないのか?そこを、徹底的にリーズニング(理屈が通るように)するのもプロの腕。

理屈をつけるのがプロの技

確かに、ルパンはカリオストロの城に、ローマ水道という「抜け道」からまんまと侵入したのですが……それができた理由は後でちゃんと判明します。実はルパン、10年前に一度この城に挑んだ経験があったんです。つまり二度目の挑戦だから、すでに準備万端で抜け道も知っていたと。これなら、理屈は通りますよね。

また、最終的に主人公が助け舟や加勢を得るにせよ、一流プロの作品ではそこまでの「見せ方」が違います。

・これだけ必死な主人公を助けなくてどうすんだ! というほどの「機運」を作る。
・何はなくとも、まずは主人公が無謀にも挑戦し、当たってくだける。

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・こんな様子を「見るに見かねて」周囲が助け舟を出したり情報提供したりする。

こういった、主人公を助けたくなるような文脈づくりを存分に行なった上に、本当にギリギリのところで主人公を助けると、すでに読者側も「助けてやれよ!」と思っちゃってるので、ご都合主義にならないんですね。

↑ちなみにコレ、「サラリーマン金太郎」に代表される、本宮ひろ志センセーの作劇の極意。

少し話が脱線しちゃいましたけど……

要するに、プロット完成時や脱稿時のチェック段階では、最低でも一度は「主人公目線」になりましょうと。そして、主人公の立場になったつもりで、都合の良すぎる展開やら信条や考え方の乱れ(シングルスタンダードの破綻)はないか、確認しましょう……というコトです。

それが上手く修正できれば、きっと読者を「感情移入」させることができるでしょう!……と言いたいのですが、実はあと1つだけ注意事項が(笑)

悪いことは言わん。「悪礼賛はやめておけ」。

上の注意事項----つまり、主人公の動かし方やら目線やら、すべてをクリアしたところで、どうにもこうにも読者が感情移入するのは無理! っていうケースが、1つだけ存在します。

その代表が「悪礼賛」。つまり、主人公の目的や信条を、およそ他人が納得できないようなモンに設定するな……というコトです。

ここに該当するのは、主に「自然法」に反する目的や信条です。具体的には、理由のない殺人や人権蹂躙、人種差別、性犯罪など。あとは「人類など滅びた方がいい」といった、負の思想の代弁者。

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物語上の必要に迫られてもいないうちから「悪徳」を積極的に肯定する主人公は、テクニックでどう見せようと、多くの読者の共感など得られようがありません。

もちろん、こうした「悪」を敵側に用意する分にはOKなんですけどね。それはフツーの勧善懲悪ですから。あとは、元々その種の悪人だった主人公が、物語を通じて改心していく話であっても、何とかOK。

……コレ、わざわざ書くような話でもないと思いますか?

きっと、「んなモン分かってるよ」と感じる読者さんも多いんじゃないかと思います。でもね……案外、志望者さんはやっちゃうんです。このミスを(笑)。

これまでの講義でもさんざん書いてきたように、主人公ってのは基本的に、シングルスタンダードや最低限の道徳的規範といった、いわゆる「足かせ」が多いキャラクターです。

まあ、多くの読者の気持ちを代弁する立場なんだから当然ですけど……描くのも、最後に動きや発言をチェックするのも、面倒っちゃ面倒ですよね。

ところが、ライバルをはじめとする脇役にはそういった「足かせ」がほとんどアリマセン。

すると、脇役を好き放題に書くのが作者的にもどんどん楽しくなってしまい……いつしか「いっそ、コイツを主人公以上に活躍させちゃえ!」って思うようになってしまうんです。

当初は主人公にするつもりもなかった悪役が、作者の過度な思い入れから主役を食ってしまうことで、結果的に主人公になってしまう……。そうした経緯を経ると、上の「悪礼賛」に該当する主人公が生まれてしまいます。

ちなみに、過去の指導上の経験から「余計な一言」を言うと、これは男性よりも、むしろ女性の志望者さんが描くダークファンタジー作品などに多い現象です(笑)。

ドラクエシリーズが売れたのも「おみこし理論」のおかげ??

今回はおみこしの話がまったく出来なかったので、最後に1つ。ドラクエが大ヒットした秘密についてお話しましょう。

ドラクエシリーズといえば、その企画とシナリオを作っているのは堀井雄二さん。

お名前をググってwikipediaの紹介ページを見れば分かりますが、 実はバリバリのマンガ原作者です。巨匠・小池一夫先生の主宰していた『劇画村塾』の3期生ですね。
で、そんな堀井雄二さんが、ドラクエを作るに当たって、まず仕掛けたこととは何なのか?

『RPGをより面白くするため、マンガの表現手法を取り入れる』

答えはこれでした。

ウィザードリィ、ウルティマといった、いわゆるドラクエ以前の名作RPGにはなかった要素を付加したのです。 (ウィザードリィやウルティマが分からない人はググって!) 具体的には、町の人やお姫様など.... ゲーム中のありとあらゆる登場人物が、主人公(=プレイヤー)に向けて語りかけてくるという表現手法。

しかも、彼らは単なる説明や情報をつぶやくばかりでなく、 プレイヤーを『勇者さま』と思って、期待したり感謝したり、助けを求めてくるのです。

『どうか、竜王をたおしてください』
『この世界を救えるのは、勇者ロトの生まれ変わりであるあなただけです!』
『勇者ロトばんざい! 勇者○○ばんざい!』
『よくぞ平和を取り戻してくれた。 この国のものに代わって礼をいうぞ』

HPを回復する時ですら、 『勇者○○に光あれ!』
ローラ姫を連れて宿屋に泊まりでもしたら、『ゆうべはお楽しみでしたね』(マニアック?)
そして極めつけは死んだ時。

『おお○○! 死んでしまうとはなにごとだ!』

こんな感じで、世界中の登場人物すべてが、プレイヤーであるあなたをヨイショし、気にかけてくれる。『勇者さま!』と持ち上げられたプレイヤーは、ちょっと気恥ずかしいかも知れないですけど、悪い気はしませんよね(笑)。

このヨイショにつぐヨイショを、プレイヤーに対してこれでもかと行うのが、ドラクエシリーズで初めてゲームへと応用された、RPGを面白くする究極の手法----つまり、「プレイヤーへのおみこし」だったのです。

ホント、ドラクエシリーズには異常なほどマンガの作劇テクノロジーが入ってます。リメイク版も沢山登場してるんで、ぜひ実際にプレイして確かめてもらえると幸いです。 改めてプレイすると、きっと勉強になりますよ!

この記事を書いた人

本名:小久保真司(こくぼしんじ)

1974.10.12.うまれ。
東京都台東区の山谷地区出身。慶応義塾大学総合政策学部を卒業後、専門学校や声優養成所の事務員として働きながら漫画原作者に師事し、シナリオライターに。コンビニ向けのペーパーバック漫画やゲームのシナリオライターとして活動する。現在は通常のライター業も請けつつ、KDPでオリジナル作品を発表中。他に、自分と同じKDP作家を支援する活動も行なっています。→『きんぷれ!』(http://kin-pre.com

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