物語をドラマチックにするキャラクターづくりと構成力の身につけ方

この記事はKindle作家”米田淳一”さんからゲストポストいただきました
1303252こんにちは、米田淳一です。
Kindleにて「プリンセス・プラスティック」というSFシリーズを刊行しています。これまで講談社・早川書房にて商業作品を13冊出版しており、16年ほど物書きをしてきました。
そこで、これから商業、もしくはKindleでの出版を目指す方へ、恐縮ながら私なりの書き方ノウハウについてお話させていただきます。

はじめに/キャラクターを作る

昔、作家志望の方に
私は現在普通の会社員なのですが、裁判官とか医者とか、そういう特殊な仕事のキャラクターの心理って、どうやったら書けるんでしょうか
という質問を頂いたことがあります。
また、「キャラクターが平凡だと言われます、どうしましょうか」という話も聞きます。
その答えは唯一つ。物語のキャラクターはすべて全部作者、自分の分身でしかない。どうやってもそれは仕方がないのです。
だから類型的て個性がないキャラクターしか書けないとしたら、それは自分が類型的で個性がないことになります。さらに踏み込めば、自分の個性に気づいていないこと、気づかない程度にまだ観察力が足りないということなんです。
生きていて同じ人生の人がいるわけがない。それぞれみんな、悩みも歓びもそれぞれにあるはずです。そしてその周りにはそれぞれいろんな人物がいる。
まずそういうことに興味を持ちましょう。自分の小さな心の動きにも、他人の小さな言葉に込められた意味にも。書籍や資料を読むのも大事ですが、そこで得られた知識を生きたものにするのは、人間についての観察力です。

自分のことを意識して観察する

まず自分の何気ないクセ、何気ない感情について、意識して観察ことがその第一歩です。そこから資料を読んで、ああこれは自分だったらこうするだろうな、身近にそういうことしそうな人がいるよな、と類推を広げていく。そのために資料を読む。
そうすることで自分の何気ない日常がすべてその観察と類推の実験場になり、そこでえられたものがすべて利用できるようになります。それで芸人さんの「辛いことがあっても『芸人的にオイシイ』と思うようになった」という状態になります。
そうなると生きてる一秒一秒が意味を持ってきます。これは、物語を書くことのすばらしい効用の一つです。
とりあえず、「平凡な日常」「平凡な人」はこの世には一つもないんだと思って、しっかり観察しましょう。そして自分なりに、自分が他の人と違っているところに気づきましょう。それが個性です。
その違いを、なぜ違っているかも考えて行きましょう。必要なら心理学も学んでみましょう。それには別に高価な専門書をいきなり買わなくとも、ウェブにはすでにいろいろな資料があります。
そして、素晴らしいことに小難しい専門書ではなく、そういう学問のこと、職業のこと、知識やエピソードを描いたマンガが出ていることがあります。心理学のマンガ、医者のマンガ、裁判官のマンガ、弁護士のマンガと今はどっさりあります。
それを漫然と見ないで、なぜそのマンガではそう描いてあるのか、本当にそういう話はあり得るのかを考えながら読んでみましょう。マンガはザクザク量を読めますので、その分、そのマンガと対立する立場の職業のマンガを読んで見ることで、視野を広げて理解できることもあります。
まずそれをやって、それで物足りなくなってから専門書を買えばいいのです。
現代はそういう専門書や専門教育機関に無駄なお金を払わなくても勉強ができる時代です。まず形から入ると思わず、好奇心・探究心に純粋になって調べてみましょう。それで得られた知識は必ず役に立ちます。
そして特殊な職業の人の心理についても、資料としてそういう人の書いたもの、話すことを聞きながら、自分にもそういう似た心理の時がないかを探しましょう。見つかったらそこを延長していって、そういう人の別の発言と符合しないか見てみましょう。
今はその資料は本や直接聴くだけでなく、そういう特殊な職業の人のやっているブログやツイートなんかもフォローすると勉強になります。でもそれを、ただそのまま使うのは良くないです。それはパクリがいけないとかいう単純な意味でなくダメです。
それはそのまま使ったら、それはそのブログ主、ツイート主の断片、それも切り取ったために「死んだ断片」しか物語に登場させられないからです。そこからは何も発展させられないのです。

日常の断片がキャラクターをリアルにする

断片をよく観察し、それをヒントに自分なりに類推・延長していくことで、生きたキャラクターが自分の頭のなかに出来上がります。
その生きたキャラクターだけが、本当に物語を進めるように、躍動的に動いたり、深く話したりしてくれるのです。
そのためにブログやツイートをフォローして勉強すると思うべきです。
一見遠回りかもしれませんが、こういうことをしないで、近道をして書いた物語は、ほぼ120%、ひどく薄っぺらくなります
それでも書く意味はなくはないのですが、それは練習作と思っておいて、書きながら遠回りをすることを意識しましょう。書く自分すらも観察するのも大事ですし、物語には本質的には締切なんてないのですから。
締切がないと書けない、なんて人もいますが、そういう人は締切があっても、本当にいい物語を書けない人です。ただ時間に追われて「仕方なく書いた」物語が面白くなるわけはないのですから。
何かの記念日のために、それまでに書こうという目標を持つのは趣味として有りですが、尻を叩いてもらおう、締切を決めてもらおうというのは、基本的によくありません
せっかく楽しみで書ける電子個人出版なんですから、ちょっと苦しい時はあっても、基本的には楽しく書きましょう。苦しい時も、それを抜け出した時の楽しさを味わうためのイベントと思うのがいいです。

物語の構成をモジュール化させよう

まず書く訓練でアイデアプロセッサ・アウトラインプロセッサみたいなものでアイディアや段落や章をモジュール的に入れ替え並び替える訓練は必須でした。 
今時のPCならそういうソフトはフリーでもありますので、物語を書く人はぜひやってみるといいと思います。
慣れてくれば、他の方の書いた物語もそのモジュールに分解してその構成の妙に気づくようになります。そうなってくると自分の作品を見るとヌルく思えてきます。とても「箸にも棒にも」に思えてきます。そこが書いていく上での一つの試練です。そこで必ず自分を見失ったりします。
でもそこでぐっとこらえるのが大事です。自分で展開が平板だとか、奇をてらいすぎたとか思っても、そこで原稿を放棄したらダメです。
放棄するのはいつでも出来ますから、とりあえず捨てる前に仕掛品にして保留にすることです。
何かのきっかけでそのダメな話がいい話に蘇るアイディアが降りることがありますので。

構成力をつけるためにオフィス系ソフトを活用する

この構成力をつけるところで必要なのが実は平凡に見える事務能力と、事務用のソフトを使いこなす能力です。Office系のソフトが実は物語を書くにはとても便利ですし、それを使う上での能力、工夫や知識は物語づくりに役立ちます。
今時のワープロソフトにはたいがいアウトライン機能があります。そして事務系の文書を作る能力と、物語を作る能力はものすごくつながっています。
そしてそういう文書を管理する能力も、物語を書くのに応用出来ます。バージョン管理、ファイル管理ができなければ、一生懸命書いた物語のファイルやメモを管理出来ませんが、今のオフィスソフトはそういう管理を支援する機能があることが多いのです。
Excelみたいな表計算ソフトも、作品内の時系列を整理する必要に迫られたとき、ものすごく役立ちます。特に歴史物になったらまず必携です。とくに年表を作ってみる事で意外なことに一杯気づきます。
たとえば何人もの歴史上の人物の生年を表にしてみます。これだけでも物語が作れてしまうんです。

歴史の年表だけで物語を考えてみる

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徳川吉宗(1684-1751)は、享保の改革で新井白石を追い出して幕府の財政を立てなおしたものの、米相場に振り回されながら長男の家重に将軍職を譲って大御所となります。
なおも米価格問題に悩みつつ6年後の満66歳で傍らに浅草米相場の米価格を書いた紙を残して亡くなる1751年
その時、享保の改革のなか生まれた田沼意次(1719-1788)が32歳で江戸城本丸で家重に仕える2000石の実力派の旗本として、吉宗の改革の影、質素倹約の強制、農民増税と米相場の乱高下の解決のための貨幣経済を推進しようと考えていたのでしょう。
その時本居宜長(1730-1801)が同じ江戸で21歳で勉強を頑張っていて、次の年に京都で医学も勉強します。
田沼意次は1772年、53歳で老中に上り詰め、その後印旛沼の干拓をしたり株仲間を作って商業を発展させ鉱山開発や蝦夷地開発もすすめて日本の資本主義化に至ります。その発展する経済の中、本居宣長は読書と執筆に明け暮れる生活をします。
しかし田沼時代が1787年に反田沼派(一橋家もそのなかにいる)による田沼の失脚となり、同時に始まった寛政の改革(1787-1793)で一気に緊縮財政になり実際武士も商人も、そして農民も苦しんで「白河の清きに魚のすみかねてもとの濁りの田沼こひしき」と憂さを晴らす狂歌が歌われる時代になります。そのなかを本居宜長は生きて、1801年に亡くなる寸前、1800年に伊能忠敬(1745-1818)が蝦夷地を測量、続いて蝦夷奉行が置かれます。
その伊能忠敬が亡くなった5年後、日本海軍の生みの親の勝海舟(1823-1899)が生まれます。1832年、勝9歳の時に天保の大飢饉が起き、勝は次の年に剣術入門。そのあとにいよいよ黒船来航、時代は幕末に突入します。
勝が江戸城無血開城を実現したのは1868年
実現した勝は45歳。東郷平八郎は20歳の薩摩藩士として戊辰戦争の海戦、阿波沖海戦で戦った直後。夏目漱石はその時江戸の牛込馬場下、今の新宿区喜久井町で生まれてまだ1歳です。
その幕末を過ぎ、勝は日清戦争に反対して清国艦隊の司令長官丁汝昌の追悼文を書いたりと中国と連携して欧米に対抗すべきと語りながらも、子どもたちの不幸に悩み、孤独に落ちた61歳の明治32年(1899年)、風呂あがりのブランデーで脳溢血で倒れます。
その時東郷平八郎(1848-1934)は日清戦争のあとにかかった病気の病み上がりの51歳で佐世保鎮守府司令長官ながらすでに日露戦争の対策として新設された舞鶴鎮守府長官になるのに当人は中央への異動を希望しています。東郷はまず確実に勝海舟の最期の言葉「コレデオシマイ」を新聞で見ているはずです。
その時夏目漱石(1867-1916)は32歳、正岡子規と高浜虚子とも出会って、旧制松山中学のあと熊本大学(当時第五高等学校)の英語教師で鏡子と結婚して3年目。鏡子のヒステリーと自殺未遂に悩まされながらも俳句は絶好調で大活躍。でも次の年には英語研究のために英国留学を文部省に命ぜられます。夏目漱石もきっと、鏡子の持ってきた新聞で「勝倒れる!」の記事を見ているはずです。
そのとき山本五十六は1884年に長岡藩士の六男として生まれて5歳、おそらくすでに負けず嫌いになりだしていたのでしょう。父母に「勝さんが死んだってさ」という言葉に、「勝さんって誰?」と聞いているかもしれません。
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これを全部頭のなかで考えたら、途方もありません。知恵熱が出ます。しかし表計算で年表を作り、Wikipediaで確認しながらなら、簡単に導き出せます。
これ、面白くないですか?
徳川吉宗が亡くなる寸前、緊縮財政の享保の改革を批判し、貨幣経済の発展、初期資本主義の時代を論じる田沼意次を意識していたかもしれません。吉宗のその時の胸中はどうだったんでしょうか。吉宗は自分の改革を批判する生意気な旗本がいる、と意次のことをすこし聞いていたかもしれません。
そして田沼意次が失脚しないでそのまま江戸幕府が蝦夷地をイケイケで開発していたら? 江戸幕府だけでなく株仲間が開発用に大型船の建造に着手し、その後極東に関心を持っていたロシアとぶつかって、黒船来航以前に日本は開国にせまられ、幕末史はすっかり変わるかもしれません。
江戸城無血開城がなければ、は時々話題になります。無血開城が出来なければ、熾烈になっただろう江戸攻防戦に参加した若き東郷平八郎は薩摩の軍艦に乗り組んだまま幕府の江戸湾海堡との砲撃戦で戦死し、幼い夏目漱石も江戸の戦いにまきこまれて命を落としてしまうかもしれません。その結果、日清戦争も日露戦争もなく、別の歴史になるでしょう。「吾輩は猫である」も書かれなかったでしょう。
勝海舟が死んだことを東郷平八郎51歳は、夏目漱石32歳は、どう思ったでしょう。その時代を山本五十六は子供心にどう見たでしょう?
これだけでおいしい小説のテーマですよね。

もしもを考えなくても、なにしろ暴れん坊将軍吉宗の頃から太平洋戦争の山本五十六まで、次々と人が繋がっていく。こんな話、昔だったらよほどの博覧強記の人しか書けません。でも今なら、ウェブ検索で概略を調べ、それを表計算にプロットしただけでイメージが浮かぶ。これはオリジナルな世界観で書くときにも必要になります。
登場人物の時系列に沿った構成と、ストーリーの構成の2つの構成の軸を持つことによって、物語を深めることができるし、また行き詰まった時の突破口にもなります。
表計算はそういう意味で、とても強力です。ぜひ友達にした方がいいです。

プレゼンでドラマづくりを学ぶ

PowerPointでのプレゼンが必要な仕事のある方はさらに幸運です。プレゼンの出来をお勤めの先輩とかに批評してもらえれば、それはプレゼンと物語両方にフィードバックすることで仕事も物語もうまくなります。物語にプレゼンづくりの技術は応用出来ます。良いプレゼンはほぼ必ずストーリーテリングの構造を持ち、ドラマティックなものです。
また、ステマと思われるかもしれませんが、久しぶりに最新の一太郎(一太郎「玄」)を見てみたら、校正機能として明らかなタイプミスなどを検出する機能があってびっくりしました。epub・mobi形式への出力機能目当てに買ったのですが案外便利でした。タイプミスを潰すのは実は結構きつい作業ですので、助かります。
せっかく大昔では考えられないほどの、ものすごい処理能力のある今時のPCで書いているのですから、どんどん活用しましょう。
昔の作家先生はアイディアを紙カードで管理するとか、紙のメモ書きを切り貼りするとか、嫁さんに読んでもらってタイプミスをチェックしてもらうとか書いていますが、いまのPCとそのソフトでは、まるっとそういう作業を大幅に省力化できます。
そういう楽をするのは悪いことではありません。逆にそういう楽ができないかと常に考えていくことのほうが物語を書くのにとても有用です。
これは一種の小さなエンジニアリングの実践ですので、今の世の中を動かしている情報処理の技術の勉強にもなります。これも応用が効きます。

長くなりましたのでここで一区切り。次回は物語を書き上げるためのモチーフの考え方についてお話します。

この記事を書いた人

米田淳一 Junichi YONETA Twitter @YONEDEN
1973年8月生まれ。秋田出身・神奈川県山際在住。日本推理作家協会会員。
SF中心に講談社・早川書房などから商業出版の著書13冊。現在パブーで著作60点。主な著書・「プリンセス・プラスティック」シリーズ(講談社ノベルズ・早川文庫JAで既刊)

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