ツカサ『ノノノ・ワールドエンド』で読みたかったドン詰まりのガール・ミーツ・ガール

今年3月に公開した記事ですが、過去記事整理で消滅したので再掲しています。6月8日現在:20%ポイント還元セールです。

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早川書房編集部の奥村(@kokumurak)です。ツカサ『ノノノ・ワールドエンド』のKindle版配信がスタートしましたのでご紹介します。

本作は、ひとりぼっちの女の子が同じようにひとりぼっちの女の子と出会って“世界が終わるまでの四日間”を過ごすという、とてもシンプルなお話です。

企画立ち上げの当初、著者のツカサ(@tukasa0815)さんはごく普通のボーイ・ミーツ・ガールと終末を迎える世界の物語を書かれる予定でした。それがどうしてガール・ミーツ・ガールな作品になったかというと、まあ担当編集であるところの自分がそそのかしたわけです、「ツカサさん、『バグダッド・カフェ』と『テルマ&ルイーズ』という映画を観て下さい」と。

ツカサさんはデビュー作の『RIGHT×LIGHT』(小学館ガガガ文庫)やメディアミックスされた『銃皇無尽のファフニール』(講談社ラノベ文庫)といった人気ライトノベルシリーズを手掛けられています。そうした作品の中で活躍するのは、男性主人公と女性ヒロインたち。

でもせっかくハヤカワ文庫で書いてもらうのだから「ちょっとだけ変わったこと」をして欲しかったのです。同時に、ツカサさんのこれまでの作品に共通しているのは登場キャラクターの「欠落」とか「欠損」だなあとも感じていまして。だから、孤独な女性同士の友情がテーマになっている『バグダッド・カフェ』と『テルマ&ルイーズ』を観てもらったのです。あと、両作品に共通する「何かにドン詰まった感じ」というのも参考になるかなと思っていました。

結果としてツカサさんは両方の作品にガッツリとハマりまして(ハマって頂いたついでに『俺たちに明日はない』も鑑賞していただきました)、女の子ふたりが世界の終わりを旅する物語のプロットが、またたく間に出来上がったのでした。

ただ、孤独な女の子同士の友情と絆が中心テーマになってはいますが、作品づくりの最後の最後まで「百合」という単語も「ガールズラブ」という単語も出てきませんでした。本になってからようやく「これ、百合クラスタの人たちも読んでくれるかなあ……」と、ぼんやりとしたお話をしていたぐらいです。そもそも、ツカサさんも自分もそっち方面は不勉強で、何もわかっていなかったですから。それが、既に本作を読んで頂いた百合クラスタの皆様には、主人公のノノと加連の二人の関係性を受け入れて頂いているようで、感謝感涙です。

また、昨年アニメにもなった『オーバーロード』のイラストレーターso-binさんには、素晴らしいノノと加連のカバーイラストを頂きました。ファンタジー系イラストの旗手であるところのso-bin(@soubin)さんを「JC描いてくださいJC」と深夜の電話で誑かし、神速で頂いたラフを感激のあまりiPhoneの壁紙したのは良い思い出です。

そんな『ノノノ・ワールドエンド』の本文のハイライトシーンを、以下に抜き出しいたしました。お読みになって雰囲気が気になった方は、是非手にとってください。

ツカサ『ノノノ・ワールドエンド』 担当者イチオシの

ノノノ・ワールドエンド

ツカサ (著)
価格:702円 6月17日まで20%ポイント還元セール
★★★★* 2件のレビュー

「世界なんて終わっちゃえばいい」暴力を振るう義父と受け入れるだけの母、良いことなんて何もない毎日に絶望する中学三年生・ノノ。彼女の願いをかなえるかのように、白い霧に包まれた街から人々は消え、滅びのときは数日後に迫った。望み通りの終末に怯えて逃げ出したノノは「世界が終わっちゃうのは、あたしのせい」と告白する白衣の少女・加連と出会う。そして少女二人きり、何処にも辿り着けないおしまいへ向かう旅が始まる。

 ペダルを漕ぐと、チェーンが軽い音を立てて回る。
 タイヤは低い音を響かせてアスファルトをこすり、私と加連を乗せた車体を前に運んだ。
 カーブや上り坂で負荷がかかると、自転車のフレームは鈍い音を立てて軋む。比較的軽い(と思う)十五歳少女の体でも、二人分だと少しばかり過積載らしい。
 空は青色から橙へのグラデーションを描き、雲に半分隠れた夕日が山の向こうに落ちていこうとしていた。
 太陽の光は眩しいが、温かい。風と霧で冷えた肌に、熱がぴりぴりと沁み込んでくるようだ。
 私が自転車を走らせているのは、普通は立ち入ることのできない自動車専用道路。
 高架ではなく、地面が盛られた高台に片側三車線の広い道路が敷かれている。道路脇の柵は低く、周囲の景色が遠くまで見渡せた。
 道路の付近にあるのは田畑ばかりで、高い鉄塔が道路に沿って一定間隔で設置されている。
霧が低地に溜まっている場所では、鉄塔が雲海から生えているようにも見え、ふと自分がいる場所を見失いそうになってしまう。
 いや、実際私は自分がどこを走っているのかを分かっていない。スーパーマーケットを出た後は、何度か休憩を挟みつつ加連の指示に従って自転車を漕ぎ続けている。
 休憩の度に、加連は充電した携帯端末で地図を調べていた。GPSで現在地も分かるのだと加連は説明してくれたが、携帯を持っていない私にはあまりピンとこない。
 とは言え、ちゃんと道を確認しているなら大丈夫だろうと、特に疑いもしなかったのだが──ここに来て少し不安を抱く。
「ねえ、加連……ホントにこっちでいいの?」
 夕日を正面に受けてペダルを漕ぎながら、私は後ろに乗る加連に問いかけた。
 太陽の沈む方に向かっているのならば、西へと進んでいることになる。だが東京を目指しているのなら、その進路はおかしい気がした。
 私の家があるのは、茨城県の内陸側。確か義父はそこから栃木県──西の方へと車を走らせていたはずだ。
 駅の案内板や道路の室内標識で得た情報から推測すると、ここはたぶん埼玉に近い群馬の南部だろう。頭の中にぼんやりと地図を思い浮かべ、位置関係を想像してみると……東京は恐らく真南か東南方向だ。
 日が沈む方角に向かうのは、目的地から遠ざかっているように思うのだが──。
「ええ、大丈夫よ」
 しかし加連は、自信に満ちた揺らぎのない声で返答する。
 それだけで〝ならいいか〟と思ってしまいそうになるが、私は念のため言葉を重ねた。
「でも、方角が違うんじゃない?」
「遠回りをしているのよ。追いかけてきている人たちは、あたしが東京へ行きたがっていたことを知っているから、真っ直ぐに目指すのは危険だわ」
「……なるほど」
 その答えを聞いて納得した。
 追っ手を気にしていたのは私も同じ。義父が自衛隊の避難船があるという噂を信じて、東
京を目指す可能性は低くない。なので真っ直ぐ東京に向かうのは不安だったのだが、加連も
それを考慮していたらしい。
 ただ……追っ手の話題が出たことで、加連が彼らから奪ったというピストルの輪郭が頭をよぎる。
 加連は今も白衣の下にあの黒い金属の塊を隠し持っている。私がそのことを気にした時、加連は東京に会わなきゃいけない人がいて、確かめたいことがあるのだと語った。
 その人に会って、用件を済ませた後、加連はどうするつもりなのだろう。
 耳に残る銃声のせいで嫌な想像が膨らみ、慌てて頭を振る。
 具体的なシーンを思い描いてしまうと、加連のことが怖くなってしまいそうで──それが何より恐ろしい。
 せっかく一緒に行くことを認めてもらったのだから、私はもっと加連と打ち解けたい。
 そのためには勝手に疑心を募らせるより、早く詳しい事情を聞くべきだろう。加連が告白した直後に問えばよかったのだが、その時はとっさに言葉を返せず、タイミングを完全に逸していた。会話の経験値不足は、こういうところで響いてくるのだ。
 あと自転車を漕ぎながら会話するのは結構疲れるため、長話は避けていたというのもある。
 ──ううん、それは言い訳か。
 私はたぶん、加連が抱えている事情の一端を垣間見たことで少し引いてしまったのだ。怯えた、と言い換えてもいい。
 世界がこんな風になった原因だと言われた時は何も感じなかったが、ピストルを実際に見て、あの空気が破裂するような銃声を聞いて──加連は私よりずっと強いことを思い知った。
 ただ逃げている私とは違う。加連はあの武器で何かに立ち向かおうとしている。
 それを突きつけられ、私は気後れしてしまっていた。
 ──こんなんじゃダメなのに。
 加連は私を〝釣り合っている〟と言ってくれた。その意味をちゃんと理解できているわけではないけれど、少なくとも私と加連は同じ立ち位置でなければいけないのだと思う。
 事情を訊くのも遠慮しているようでは、あまりに情けない。
 自分の不甲斐なさに重い溜息が漏れる。
 けれど加連は私の溜息を別の意味に取ったようだった。
「……ノノ、疲れた?」
「え? まあ……少しね。でも、まだ大丈夫だから」
 胸の内側にこびり付いている負い目のせいか、つい強がってしまう。正直に言うと足は重く、膝が痛む。けれど道が平坦な間は、頑張れないこともないはずだ。
「そう──だけど、そろそろ夜を明かせそうな場所を探した方がいいわね。できれば日が沈む前に……」
 私の状態を看破したわけではないだろうが、加連はそう提案する。
「夜は先に進まないの? 街灯は点いてるみたいだけど」
 加連の言葉はありがたかったが、私は疑問を覚えて問いかけた。
 道路脇に並ぶ街灯は既に点灯している。行き交う車がなくとも、自動で灯るようになって
いるのだろう。
 私は片目が見えないので、細い道を走るのは怖い。だが広くてカーブが緩く、明かりも十
分なこの自動車道であれば、夜も走ることはできるはずだ。
「暗いと霧が見え辛くなるわ。霧の濃さを判断できない状態で進むのは危険よ。気化のリスクはなるべく低くしておきたいの」
「霧の濃さ……? そういえば、スーパーでもそんなこと言ってたよね。この辺りの霧の濃度じゃ気化現象は起こらないって。それ、どういう意味なの?」
 サチさんがいなくなったと聞いた時、加連は気化現象によるものではないと断言していた。本当に加連が世界をこんな風にしたのなら、気化現象の謎について知っていてもおかしくはないが……。
「霧が濃いほど、気化する可能性は高まるってことよ。ノノも霧と気化現象が無関係じゃないことぐらいは、何となく分かってるでしょう」
「まあ……人が消えるのは、霧の中でって話だし……」
 曖昧に私は頷く。母がいなくなった時も、そうだった。
 霧に包まれた街や村からは人が消える。そんな報道が続き、気化現象の存在が明らかになり、霧が濃い場所は危険だという認識が広がった。だから別に加連が荒唐無稽なことを言っているとは思わない。
 引っかかるのは、加連が霧と気化現象の関わりを確信し、その上で迷いなく行動を決めている部分だ。
「八月中旬から急増した行方不明者の統計と、霧の濃度を照らし合わせれば、気化現象の発生条件は明白だわ。日本では確か視界率を使っていたわね。それを基準にすると……気化現象が発生するのは、視界率が三十%を下回った地点よ。この周辺は七、八十%ぐらいだろうけど、風向き次第で局地的に霧が濃くなるかもしれない。だから自分の目でしっかりと状況を確認することが必要なの」
 背中から聞こえてくる加連の声には確信が込められていた。
 少し前まで映っていたテレビでは、各分野の専門家があれこれと仮説を述べていたが、こんな風に自信を持って話していた人はいない。
 気化現象を捉えたという映像は、どれも霧に包まれて見えなくなった人が、霧が晴れた時にいなくなるというだけのもの。人間が気体になる瞬間は誰も見ていない。
 だから国も気化現象の存在をなかなか認めなかった。駅で見つけた三日前の新聞記事に書いてあったように、ようやくそこで否定しないというスタンスに変わった程度だ。だから加連が口にしたようなデータは公的機関からは一切発表されていない。
「……そこまで断言できるのって、やっぱり加連がこの状況を作った人だから?」
 ちょっと勇気を出して、踏み込んだ質問をしてみる。
 加連の言葉を信じるとは言ったが、私はまだ心から受け入れているとは言いがたい。自分と同い年の女の子が世界をこんな風にしたなんて言われても、現実感がなさ過ぎる。
 あのピストルとは違う。
 生々しく暴力的で、簡単に現実を覆してしまえる武器のインパクトに比べると、あまりに薄い。世界全体に関わる大きなスケールの話をされても、私の価値観からはかけ離れているため、遠近法的な感じで逆に小さく見えてしまう。
「そうね──詳しく聞きたい?」
「それは……」
 けれど逆に訊き返されて、言葉に詰まる。
 もちろん聞きたいからこそ問いかけたのだが、改めて考えると違和感がある。
 たぶん私は難しい話をされても理解できない。というか私にとって大事なのは〝何もかもが終わるまでの時間を、なるべく長く、楽しく、加連と一緒に過ごす〟ことであり、世界が滅ぶ理由にたいした興味もない。
 ならどうして質問をしたかと言えば……知りたいからだ。
 ただそれは世界が終末に向かっている要因とかではなく、加連がどんな子で何を考えているのか──ということ。
 そのために必要なら、難しい話も頑張って聞こう。分かるとこだけ分かればいい。
「……うん、聞かせて」
 私は眩しい夕日に目を細めながら、加連に答える。
 すぐに言葉は返ってこない。風の音を聞きながら、彼女が口を開くのを待つ。
「ノノ──」
 一定間隔で設置された街灯を五つほど通り過ぎた時、加連のか細い声が耳に届いた。
「何?」
「……ノノは、幽霊の存在を信じているかしら」
「え?」
「幽霊、霊魂、ゴースト──そういったモノ、信じてる?」
 加連は強い口調で問いかけてきた。この質問が世界の現状についての〝詳しい説明〟に繋がるのだろうか。
 私は疑問を抱きつつも、少し考えて返事をする。
「えっと…………信じて、ないかな」
 実在すれば面白いと思うし、積極的に存在を否定する気はない。だが信じているかどうかと訊かれたら、間違いなく信じてはいなかった。
 誰かが幽霊を見たと言えば、私は見間違いだと考えるだろう。写真を見せられても合成か偶然だと思うに違いない。仮に自分の目で見たとしても……やはり錯覚だと判断するような気がする。
「十五歳女子の割には、枯れてるわね」
「枯れてるとか言わないでよ。可愛げがないことくらい自覚してるし」
 口を尖らせて文句を言う。
 同級生には、そういったオカルトを信じたがっている夢見がちな女子は多かった。ただ家と学校でどうしようもない現実と戦い続けていた私には、そんな妄想に浸っている余裕はなかったのだ。
「枯れているのと、可愛げがないのとは別の問題だと思うわ。というか……あたしの主観だとノノはわりと可愛いわよ」
「ええっ、どのあたりが?」
 あまりに驚いてハンドル操作を誤り、自転車が大きく蛇行する。
 加連は悲鳴をあげて私の腰に強くしがみつき、私は「ご、ごめん」と謝って自転車のバランスを立て直す。
 けれど加連も悪い。可愛いなんて褒められたら動揺するのは当然だ。
 だって、これまでそんなことはほとんど言われた試しがない。背が高いのでカッコいいと煽てられたことはあったが、可愛いという要素がないゆえの評価とも言える。
「うーん……その、怒らない?」
「怒らないよ。だから教えて」
 ちょっと不安になる前置きではあったが、気になる思いの方が強くて先を促す。
「あたし、小さな頃にリオっていう名前のゴールデンレトリバーを飼っていたの。リオは子供のあたしよりずっと大きかったわ。でも、頭を撫でるとすごく喜んで──とっても可愛かった。ノノと話していると、何だかリオのことを思い出すのよ」
 少し遠慮がちな感じで加連は答えた。
「……私ってそんなに犬っぽい?」
 どんな反応をすればいいのか自分でも分からず、複雑な感情を抱きながら問いかける。
 親しみを持たれているという意味に取れば嬉しいけれど、ペットと同列に見なされたくはない。
「もし動物に喩えるのなら、逞しさと愛らしさを兼ねそなえた大型犬ね。もうずっと忘れていたけれど、リオの背中にもこうしてぎゅっとしがみ付いていた気がする。だからきっと、妙に落ち着くのよ」
「そ、そう……喜んでいいのかな?」
 リオのことを話す加連の声はとても優しい。心から信頼する大切な存在だったことが、はっきりと伝わってくる。加連にとってリオは家族の一員だったのだろう。犬扱いされるのは抵抗があるけど、リオに似ていると言われるのであれば、それはむしろ誇らしいことなのかもと思えてきた。
「あたしに気に入られて嫌じゃなければ、別に喜んでくれてもいいわ」
 加連に問われた私は少し考え、ハンドルから片手を離して自分の顔に触れる。頬の筋肉は緩み、口角が上がっていた。いつの間にか私は笑っていたらしい。
「じゃあ──一応喜んどく」
 私がそう言葉を返すと、加連は沈黙した。
「…………」
「急に黙ってどうかした?」
「……ごめんなさい。少し我慢していたから」
 小さな溜息と共に、加連の声が耳に届く。
「我慢ってお手洗い? どこかに止める?」
 トイレはこの自動車道に入る前、公園のお手洗いで済ませていた。だが自転車の後ろに乗っているだけの加連は、ペダルを漕いでいない分、私よりも体が冷える。
 だから急に催してもおかしくないと思ったのだが──。
「違うわ。トイレなら平気」
「なら、何を我慢してたの?」
「何だかノノの頭を撫でたくなってしまったのよ」
「…………………犬っぽいからって、犬扱いはしないで」
 リオのように親しみを感じてくれるのは嬉しいが、できれば人間として評価してもらいたい。人間としてのプライドなんて意識したことはなかったけれど、何となくそれに近い感覚があった。
「そう言うと思ったから、やめておいたのよ」
 もっともな彼女の言葉に私は溜息を吐いた。
「それはありがと──っていうか、犬の話はもうやめない?」
 これ以上話が膨らむと、本当に犬扱いをされてしまいそうな危機感を抱き、私は脱線していた話を本筋へ戻そうとする。
 加連の事情を聞こうとしたらなぜか幽霊の話を持ち出され、いつの間にか犬の話題になっていた。だいぶ遠回りをしている感覚だ。
「そうね、幽霊について話していたんだったわね。ノノは信じていないみたいだけれど」
「……加連は信じてるの?」
 大学の研究室に所属していたというのに、そんなオカルトを信じているとしたら不思議だ
が……同い年の少女らしいとも言える。
「ええ──信じていたわ。信じたかったのよ」
 けれど耳に届いた言葉には、夢想を語る浮わついた響きはなく、ただひたすらに切実な何
かがあった。
「加連──」
「あっ……ノノ、あれ」
 問い返そうとした私だったが、加連の声に遮られる。
 私の肩越しに加連が右前方を指差していた。その先──自動車道の脇に、駅の待合室に似た四角い建物が見える。
「──たぶん、高速バスの待合所じゃないかな」
 部活の遠征で高速バスは何度も乗ったことがあった。高速道路や自動車専用道路には、ああした〝バスの駅〟がところどころにあるのだ。
「ノノ、あそこで停めて」
「もしかして……あの待合所に泊まるつもり? ちょっと探せば、マシなところがあると思
うけど……」
 指示通りにハンドルを切りつつも、私は若干の不満を込めて言う。
「もうすぐ暗くなるから、街をうろうろするのは危険よ。霧は重くて、低地に溜まるの。だから一見霧が薄くても、局所的に濃度が高い場所はあるわ。高台にあるこの道路からは降りるべきじゃない」
 強い口調で言い切られ、私は「分かった……」と頷く。
 一旦スピードを緩めれば、再び加速する元気は出ないだろう。私はこの頼りない待合所で一夜を明かす覚悟を決めて、ブレーキをかけた。
 待合所の前で自転車を停めると、急に汗が噴き出す。気温は低いのだが、風がなくなったことで体の熱が冷めない。
 けれど加連が体を離して自転車から降りると、急に背中が涼しくなった。
「ふう……」
 何だか頼りない気持ちを抱きながら、私もサドルから降りて自転車のスタンドを立てる。
 両足で地面に立つと、自覚していた以上に疲労が溜まっていることが分かった。
 膝に上手く力が入らず、太ももとふくらはぎが重い。
 一足先に自転車から離れた加連は、薄暗い待合所の中を覗き込んでいる。
 待合所は四方に窓ガラスがあるため、無人であることはすぐに分かった。
「ノノ、扉もあるしちょうどよさそうよ。鍵は掛からないみたいだけれど、霧を遮るには十分だわ」
 入り口の扉を開け閉めしながら、加連は明るい声で言う。どうやら本気でこの待合所に泊まるつもりらしい。
 自転車の籠に入れていたナップサックと加連のトランクを両手に持ち、私は待合所の入り口に近づいた。
 加連の肩越しに待合所の中を覗き込むと、ベンチが向かい合わせに設置されている。
「ベンチで寝るんだよね……」
「床がいいのなら止めないわ」
「……ベンチの方がマシ」
 私は加連と待合所に入り、荷物をベンチに置いてから自分も腰を下ろした。
「疲れたぁー……」
 背もたれに体を預け、両足を伸ばし、天井を仰ぐ。蛍光灯は消えており、天井には薄闇がわだかまっていた。街灯とは違って自動で点く仕組みではないらしい。どこかにスイッチがあるのかもしれないが、探しに行く気力はない。
「……あたしはお尻と腰が痛いわ」
 加連はベンチには座らず、白衣の上からお尻をさすりつつ、腰を伸ばしている。
 座り辛い荷台にずっと腰掛けているのも、それなりにきついようだ。
 窓から差し込む夕日は待合室を赤く染め、床には窓枠の黒い影が濃く刻まれている。
 今は休めることに安堵しているが、もし一人きりだったら心細さに押し潰されていたかもしれない。
 加連が一緒で良かった。しみじみと実感する。
「加連は幽霊を信じてるって言ったけど、こんなところで眠れるの? お化けが出るかもしれないよ?」
 私は先ほど途中になった、霧と関わりあるかどうかも分からない〝幽霊〟の話を再開させるため、冗談めかして言う。
 逢魔が時の赤い景色と無人の道路は、放課後の学校に似た不気味さをはらんでいた。私は幽霊を信じていないが、濃い闇の中には何かが潜んでいそうな雰囲気がある。
「そうね。もしかしたら今晩──幽霊を見られるかもしれないわ」
 けれど加連は怯える様子もなく、当たり前のように相槌を打った。
「え……ど、どういうこと?」
 戸惑いながら問いかけると、加連は窓の外に視線を向ける。
「──霧が出始めた頃から、幽霊の噂話が増えなかった?」
 逆に問い返された私は、自分の記憶を辿ってみた。
「まあ、色々な噂はあったけど……人が消えるっていうこと自体、最初は都市伝説の一つだったし……」
 そういえば幽霊を見たと騒いでいる人たちもいた気がする。あれは確か、通院していた病
院の待合室でのことだっただろうか。霧の中に死んだはずの入院患者の姿を見たとか、そんな話だったように思う。
 病院ならよくある怪談の一つだろう。普段ならまともに耳を傾けたりはしない。
 ただその話をしていた人たちがやけに真剣で、声も大きかったので、何となく意識を向けてしまった。もちろん私はそんなオカルト話を本気にしなかったけど、普通じゃないことが起こっているような空気感が待合室には漂っていて、落ち着かない気分になったのを覚えている。
「人が消える、か──この霧がそんな事態を招くなんて、最初は想像もしていなかったわ。あたしはただ、幽霊を見てみたかっただけなのに……」
 遠い目をして加連は外の霞んだ景色を眺める。
「見てみたかったって……何で?」
 霧と幽霊の関連も気になるが、加連が幽霊を見たいと思った動機に興味を引かれた。単なるオカルト好きという感じはしない。加連の顔には、寂しげな色が浮かんでいる。
「……七歳の時、両親が事故で死んじゃったの。葬儀に来た人たちは、真剣な顔で両親の冥福を祈っていたわ。でもあたしはその頃から中途半端に賢しくて──死者へ祈りを捧げることが、無意味なことにしか思えなかった。だって魂なんて、あるわけないんだもの。人間の精神は脳の中にしかない。それが機能しなくなれば、精神は消えてしまう。それは当たり前のこと」
 自嘲の響きを混ぜ、加連は言葉を続けた。
「だけど──本当は祈りたかった。両親はどこかであたしを見守っていてくれるって、信じたかった。そうしないと、寂しくて死んでしまいそうだったから……だから──あたしは幽霊や魂といったモノの実在を証明することにしたの」
「いや──ちょっと待って。最後の結論だけ、おかしくない?」
 大事な人が死んだ時の話は、頭の悪い私でも理解できる。去年の冬──私も祖母が死んだ時、似たようなことを考えた。
 ──おばあちゃん、どうして死んじゃったの? 本当にもういないの?
 葬儀の最中、頭の中ではそんな言葉がぐるぐる回っていたように思う。
 私にとって、祖母は特別な人だったから……簡単に死を受け入れることができなかったのだ。
 祖母は厳しい人だったけれど、常に私の目を見て話してくれた。怯えて目を逸らす弱い母とは違う──本物の家族と言える相手。私がただ一人信頼できた大人で、尊敬していた女性。
 祖父は私の生まれる前に亡くなっていたので、祖母は一人で暮らしていた。背筋はいつもピンと伸びていて、その凜とした雰囲気に触れる度、私はいつも姿勢を正した。祖母には一人でしゃんと立つ強さがあって──それは一人では生きて行けない母にはないもので──私はその姿に憧れた。
 祖母に会うのは、私が自分の弱さを痛感している時が多かったこともあり、余計に彼女の姿は眩しかった。
 私が色んなことに耐え切れなくなった時、逃げ込める唯一の場所が祖母の家だったのだ。
 祖母がいなくなったら、私に逃げ場所はなくなる。新しい居場所を見つけなければ、きっと私は壊される。
 そんな焦燥感に駆られ、私はスポーツ推薦の道を選んだ。全寮制の高校に進学して、家を出ようと決めた。
 それは結局、祖母が死んだ現実を受け入れたということだろう。
 祖母がいなくなった世界はそれまでよりずっと息苦しくて、楽しくなかったけれど、私はまだ生きているから、新しい現実に向き合うしかなかった。
 たぶん大抵の人は、死んだ人が残した空隙を何とか埋め合わせて生きていく。
 加連のように、魂があるかないかにこだわったりはしない。なぜならそれが答えの出ないものだと知っているから。
 でも……加連にとっては、そうでなかったということなのか。
「まあ──おかしいわよね。だけど当時のあたしには、それが全てを解決する最高のアイディアに思えたのよ」
 溜息をついて肩を竦める加連だったが、そこで複雑な表情を浮かべる。
「たぶん普通なら、何の成果も出なくて……色々とこじらせた挙句、最後は変な宗教にハマるのがオチでしょうね。でも、あたしには才能なんてなかったけれど──運だけはあったのよ」
 小さく笑って加連は私を見た。
「運?」
「そう──あたしの着目した点が、たまたま正解に近かっただけ。結論ありきの研究が、偶然正しい道筋を辿っただけだったわ。きっとあたしである意味もなかったけれど、それでも
あたしは見つけてしまったのよ……幽霊を観測する方法を」
 そう言って加連は再び窓の外に視線を向けた。その目は遠くを見ている。自動車道の向こう──薄霧に霞む街を見つめている。
「それが、霧と関係あるの?」
 彼女の様子からそんな雰囲気を感じ取り、私は問いかけた。
「関係あるどころか──それそのものよ。あの霧は、幽霊を観測するための触媒。これであたしが、世界をこんな風にした原因だと言った意味が分かったかしら?」
 腕を組み、悪ぶった口調で加連は言う。
 彼女としては自分が大罪人だと告白した気分なのだろう。けれど私は、拍子抜けしていた。
 分からないかもしれないと思っていたのだ。世界をこんな風にした理由なんて、きっと途方もないもので、私には理解できないかもしれないと恐れていた。加連のことが分からなくなってしまうことが怖かった。
 でも、私は頷ける。意味は分かったかという加連の問いに、首を縦に振ることができた。
「──何か、少し安心した」
 身体から力を抜き、ベンチの背もたれに寄りかかる。
 そんな私の脱力した様子を見て、加連は戸惑った表情を浮かべた。
「あ、安心? あたしが何をしたのか、まだ理解できていないの? というか、もしかしてまた信じてない?」
「まあ百%理解して信じたかって訊かれたら困るけど……肝心なことは分かってると思う
よ? 要するに、事故みたいなものだったんだよね?」
「え……」
 逆に私が問い返すと加連はたじろぐ。
「加連はお父さんとお母さんを亡くして、寂しくて、幽霊でもいいから会いたくて──その方法を探したんでしょう? で……その見つけた方法が、気化現象なんていう予想外の事態を引き起こした──私はそう理解したんだけど、合ってる?」
「だ、大体は……一応、合っていると思うわ」
 ためらいながらも頷く加連を見て、私は微笑んだ。
「なら、やっぱり安心するよ」
「……どうして?」
「だって、加連が世界をめちゃくちゃにするために霧を作ったんだったら、少し怖いもの。いくら私の願いを叶えてくれた恩人でも、さすがに引く」
 私は苦笑しながら冗談めかして言う。だけど内容は本心からのものだ。心から私は安堵している。
 ピストルとか、世界をこんな風にした原因とか、あまりに現実離れしたことばかりで……そんな事情を抱えている加連は、私の理解が及ばない人間なのかもしれないと不安になっていた。でも、もうその心配はない。私はちゃんと加連の気持ちが理解できる。
「──だけど、事故ならいいというものじゃないでしょう?」
 加連は納得できないという様子だ。だからはっきり答えることにする。
「いいよ」
 結果なんてものは、自分の思う通りにはならない。それは私がいやというほど理解していた。結果は努力も願いも簡単に踏みにじる。私はそんな最低なものに、価値があるとは認めない。
「い、いいって……」
「一緒にいるために大事なことって、過去に何をしたかよりも、どういう人なのかってことだと思うから。実を言うとね……私、スーパーの……あの時から少し引いてた──加連のこと、怖がってたの。でも今の話を聞いて、もう怖くなくなった」
 そう言うと私はナップサックとトランクをベンチから降ろし、ゴロンと横になる。
「安心したら──眠たくなってきたかも」
 気持ちが緩むと体の疲れを強く意識した。今なら私は、加連の傍で無防備に眠れるだろう。毎晩自室の扉を固く閉ざしていたつっかえ棒は、ここでは必要ない。
「ちょ、ちょっとノノ、話はまだ途中なのよ? あたしのことを信用するのは、早過ぎると思うわ」
 加連は焦った声で言い、寝転んだ私の顔を覗き込んできた。
 夕日に照らされる加連の困り顔は、今までで一番幼く感じられる。
「話の続きは……明日でいい。今日は加連が──幽霊が見たかっただけの……普通の可愛い女の子だって分かっただけで……もう十分」
 ふわ、と欠伸をしつつ私は笑った。
 疲労が一気に出てきて、瞼が重くなる。こんな場所で眠れるかと最初は心配だったが、この眠気に体を任せれば夢の国へ行けそうだ。
「か、可愛いって──ノノ、からかわないで」
「……加連だって、私のことを可愛らしいって言ったじゃない」
 顔を赤くしている彼女に言い返し、瞼を閉じる。
 霧さえ室内に入ってこなければ、気温もそう低くはならない。このまま寝ても風邪は引かないだろう。スーパーでは今日の夕飯分の食糧も確保していたが、もう食欲よりも睡魔の方が強かった。
 眠りの底へ落ちていく最中、傍で小さな溜息が聞こえる。
「おやすみなさい──ノノ」
 その声と同時に、頭を優しく撫でられた気がしたが──重い瞼を開けて確かめることはできなかった。

著者&イラストレーター プロフィール

ツカサ
1983年京都府生まれ。造形大学のグラフィックデザイン科を卒業後、2007年に第一回小学館ライトノベル大賞で『RIGHT×LIGHT』が入賞しデビューを果たす。著書に『九十九の空傘』『国家魔導最終兵器少女アーク・ロウ』『熾界龍皇と極東の七柱特区』など。人気シリーズの『銃皇無尽のファフニール』はメディアミックス展開され2015年にTVアニメ化を果たす。

so-bin(そーびん)
大ヒット中の『オーバーロード』(著:丸山くがね)のビジュアルワークで商業イラストレーターとしてデビュー。以降『緑陽のクエスタ・リリカ』(著:相沢沙呼)や『断末のミレニヲン』(著:十文字青)など注目作のイラストを数多く手掛ける。またTRPG「ソード・ワールド2.0」のビジュアルも一部担当。いま、最も注目されるイラストレーターの一人。

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